【おたよりコラム】理想の先生
「久しぶりです!」「えーきてくれたの?え、今、何歳になった?」「37になりました~」
ついこの前の日曜日。大和駅前の広場で行われていたイベントにいってきた。フリマとかいろいろ行われていたけれど、私の目的はステージでライブ演奏をしている人に会うことだった。ライブが終わり、片付けているその人に声をかけた。それが冒頭のやりとり。数年ぶりに会うその人は、自分が中高生のときのピアノの先生。ピアノは中学以降にしていた唯一の習い事でもあり、大人になっても会いたいと思う、唯一の習い事の先生だ。
私がピアノをはじめたのは、もう記憶がないころのこと。姉が習っていたのについていき、姉の弾くグランドピアノの下で寝ていたのが最初で、通い始めは年長か小学生かの時だった。最初のピアノの先生と2人目のピアノの先生は実はあまり覚えていない。どちらも個人でやられていたピアノ教室で、自由にやらせてくれるやさしい女性の先生だったらしい。でもどちらの先生も結婚やドイツへの引っ越しなどの理由で、次の先生を紹介してもらった。3人目の先生は、おそらく小学3年生ぐらいから習いはじめた先生だった。後になって知ったことだが、音大を目指すようなピアノの教室でもあったらしい。すばらしい先生らしいのだが、私にとってはピアノがつまらなくて、嫌で仕方なくなった時期だった。姉と一緒に通っていた私は、前半の30分は私のレッスンで、後半の30分が姉のレッスン、という流れだった。譜面をみて弾くので、その通りに演奏することがなにより大切なのだ、というのはその通りなのだけど、オクターブ上でオルゴールっぽく弾いたり、ペダルをたくさん踏んでみたり、と遊ぶのが楽しい私にとっては、遊びを奪われ、言われた通りに弾くしかないピアノが苦しくて苦しくてならなかった。そんな気持ちだったのもあって、レッスンでその先生に会うのも嫌になり、家でピアノを弾くのも嫌になっていた。一緒に通っていた姉は、というと、先生に気に入られているように私には見えていた。私がレッスンを受けている間、姉は、自由にすごしていたけれど、姉がレッスンをうけている間、私は2台あるグランドピアノのもう1台で練習を命じられていたのも嫌になる要因のひとつでもあったかもしれない。その先生の元を離れることになったのは、小学6年生で中学受験の直前になったとき。受験を言い訳に辞めることにした。 ピアノをやめてみると、気づきがたくさんあった。家でピアノを弾くのが楽しくなったのだ。やりたい曲を探して自由に弾けるピアノが嬉しくてならなかった。ピアノ教室をやめて半年ぐらいして、中学に入るころ、近所に映画音楽とかジャズとか楽しくやれるという個人のピアノ教室が新しくできると知り、楽しくならピアノを習いたいなぁと話を聞きにいってみることに。これが今でも会いたいと思う先生との出会いだった。私の『楽しい』『やりたい』を大事にしてくれたこと、こんなふうにと弾いてみせてくれる姿に憧れ、そして説明の言葉(感覚)がすごく自分にはわかりやすかった。骨折している時にも教室にいって、ピアノではなく、コードや曲のアレンジなどを教えてもらいにいっていた。ピアノはきっかけで、先生のつくる雰囲気が居場所になっていたのだと思う。 習い事は、なにか技術が上達すれば確かによいのかもしれない。そのために習いにいくのが習い事でもあるのだと思う。けれど、習いにいく教室で同じ人と何年も過ごす時間にもなるのだとしたら、その時間をどう過ごすか、どのように影響を受けるか、はとても大切で、習っていることを好きにさせてくれる人なのか、その人自身のことを好きになれるか、相性が合うのか、世界を広げてくれるか、そんなこともとても貴重なことじゃないかなと思う。私にとって、大人になっても会いに行きたくなっているピアノの先生は理想のひとり。その先生のように、先生と生徒という関係だけではなく、心から信頼し、20年経っても会いたい、そんな風に思ってもらえる人になれるように、今、目の前のひとりひとりに丁寧に向き合って過ごしていきたいと思う。ピアノを習っていたのが、25年前。25年経ってもまだ先生から、自分の目指すべき道を、ありたい姿を教えてもらった。
三尾 新 2024年も大変お世話になりました。2025年もどうぞよろしくお願いします。
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