【おたよりコラム】泣けるということ
「泣き虫はっち」私が幼稚園や小学1.2年生のときのころ、姉と母が私が泣くといってきた言葉だ。私は泣き虫だった。思うようにできないことがあると頑張りながらも涙がでてくるし、勝負事でまけるとじゃんけん大会のようなものであっても涙が溢れてしまうようなタイプだった。幼稚園最後の年長リレーのアンカー、自分の番がきたときには、周回差がつき、他のチームがゴールしていて、一人で1周「がんばれー」と拍手をもらいながら走ったときも、涙を流しながら走っていた。でもこんなふうにぐっとこらえながらも涙を流すという泣き方は、外だけ。泣き虫はっちとからかわれるのは、家での泣き方だった。外では我慢しながら涙をしていたけれど、家だとただのわがまま少年だった。姉に言い負かされて大泣き、自分の順番があとというだけで大泣き、買ってほしいものを買ってもらえず大泣き、悔しくて、見栄をはろうとしてついた嘘がバレて大泣き。泣きながらの口癖は「だって、さやかちゃんが(姉)」と言い訳ばがり。書けば書くほど、家では本当に面倒な子だったのではと恥ずかしくなる。姉をいつもイライラさせていただろうなぁと申し訳なく思うほど。 家では感情全開の私だったけれど、小学生の途中からは泣くようなことはほとんどなくなったように思う。感情をコントロールできるようになってきた私だったけれど、外で感情を抑えきれず大泣きした記憶がひとつだけある。小学6年生、サッカーの大会、晴れた日だった。予選リーグの中盤、相手は強いけれど負けたくないチームだった。私は全力で戦っていた。守備に攻撃にと走り回り、接戦となっていた。試合終盤、点をいれられ、1点を追う形で試合の残りもわずかというところ。相手ゴール前から弾かれて転がってきたボールが私の元に。ゴールからの距離は遠いところだったけれど、迷いなくシュート。「絶対に決めてやる!」とアドレナリン全開で打ったシュートはゴールをかすめ、惜しくも外れてしまった。外した後もすぐに切り替え試合終了まで戦い抜いた。しかし、結果はそのまま1点差でまけてしまった。挨拶をし、コートを去った後、私は、泣き崩れてしまった。大号泣。コーチに支えられながら歩いて荷物をまとめる場所まで戻るほどに。それまでにサッカーの試合はたくさんやってきたし、たくさんの得点シーンや失点シーンはあった。悔しいと思うことはたくさんあったけれど、大泣きしたのはこの1回だけだった。試合を思い返しても、私のせいで負けた、というわけではない。たくさんのチャンスはあったし、たくさんのピンチを守りぬいてきた。それでも、その1回のシュートミスを今でもものすごく鮮明に覚えている。このときの涙は、私にとって、宝物となっている。悔しい記憶だけれども、プロサッカー選手を本気で目指し、毎日のようにボールを触り、ものすごくサッカーに懸けていたからこそ経験できた涙なのだと思う。
大人になった今、涙腺が弱くなり、運動会の演技や徒競走などで本気の子どもたちを感じるとすぐ涙がでてくるようになってしまったけれど、それは別として、大泣きするようなことはなくなった。といいたいところだけど、こう書いていて、意外と泣いている、ということに気づいた。しばふハウスをつくるきっかけとなった涙。賞の投票で落選し期待に応えられなかった自分の至らなさに涙。子どもと本気で向き合っていて、悔しくて涙。コロナの時期のキャンプの後、もっと良くできただろうにできなかった悔しさに涙。結構泣いていた。恥ずかしいことだれど、書いていて思った。どれも泣いているのは本気で、全身全霊を注いでなにかをやっているときだ、と。だとすると、今の私は泣けるほどがんばれていると言えるのかもしれない。サッカーの試合の後、泣き崩れたときの自分を超えるほど、人生を、自分の時間の全てを懸けて努力をした、そう自分でもいいきれる経験を、これからも積み重ねていけるように目の前の出来事を大事にしていきたい。
年度替わり、新しい学校や学年になる子どもたちが成長していく中で、恥ずかしがることなく、全力で向き合える経験に環境に出会えることを心から願っています。 三尾 新
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